pharimaya’s diary

とりとめのないことたち。

価値

 小学校の卒業式。卒業生は、一人一人がそれぞれ自分の将来の夢を一言だけ語り、それから卒業証書を受け取るという手順だった。
 もちろん私も例外でなく、私は卒業証書を受け取る前に、マイクの立った壇上に立ち、卒業生である6年生とその保護者、そして在校生代表として出席していた5年生の前で、このように言い放った。
「私は将来、誰かにとって、かけがえのない存在になりたいと思っています。」

 なぜ私が未だにこんなことを覚えているのかといえば、あまりにも小っ恥ずかしすぎるエピソードだからでもなく、早く来た中二病による黒歴史だからというわけでもない。私は大まじめに考えて、この将来の夢を考えたのだ。そしてある意味、これは今現在でも私の夢であるからこそ覚えているのだ。(私の中二病が未だに治っていないだけではないか、という誹りは甘んじて受けよう。否定できない気もする。)

 この話には前日譚があって、私が卒業式で発表する夢を当初「誰かにとって必要とされる存在になりたい」と書いたのを、先生に呼び出されて数回書き直させられた。なぜそれを書き直させたのかは、理由は定かでない。訊いたのかもしれないが覚えていない。おそらく訊いた上で忘れているのだとすれば、先生の回答に私は納得しなかったのだろう。

 私は昔から、自分の存在に価値があるとは思えない。だからこそ、誰かが「私を」必要とするとは到底思えない。
 私より頭のいい人はいくらでもいる。私にできることは他の人がいくらでもできるし、周囲から「すごいね」と言われたことだって、私以上にうまくやれる人なんかごまんといた。それどころか、私のできないことをすらすらと、完璧にこなす人だってごまんといる。何もかも、私がやる必要がないのだ。
 私がやらなくたって、私がやらなかったそれは私以外の誰かが私以上にうまくできるし、私ができないことだって私以外の誰かにならできる。私がやる必要のあることなんて何一つこの世に無くて、ゆえに、私が存在する必要なんてないのだ。
 さきのエピソードを考えれば、どうやら私は小学生のころからそう考えていたらしい。私が私である必要なんてなくて、私は私以外の誰かによって簡単に代替可能、それどころか何もかもが向上するだろう。そんなことは、小学生のころから自分でわかりきっていたのだ。

 それでも私は、自分が誰かに代替可能であることをわかったうえでなお、誰かに必要とされたがったということだ。必要とされることなんて、必要とされる必然性なんてないことがわかりきっているのに、である。これほどまでに愚かしいこともないだろう。その愚かしい思いを、少なくとも干支が一回りしてもなお消化しきれず、なおどこかに私が、私の存在が必要とされることを求めて生きているなんて、あまりにも愚かで、傲慢に過ぎる。

 ゆえに私は、未だに自分の生存を全面的に肯定することができない。その肯定をひっくり返すような、ごく簡単な存在否定さえ齎されれば、私はおそらく自らその生存を手放すであろう程度には肯定できない。

 以前、「人は自身の生存をどのようにして肯定しているのだろう?」と私がこぼしたとき、ある人が「そもそも、そんなこと(自身の生存に価値があるかどうか)を考えたこともない。」と回答してくれたことがある。それはすなわち、生存そのものに価値はなく、生存は生存という現象として享受すべきであり、それゆえに生存する存在に優劣はないという思想である。私はなるほどと思ったし、同時にうらやましいとも思った。それは生存する自分自身という存在の価値を疑ったことのない、言い換えればその価値を疑う必要のなかった人の思想だからである。
 私は、いったいどこで踏み外してしまったのだろう。

 理解できる側面もある。私の周囲にいる人について、私はその人たちの価値を推し量ったりしたことはない。その存在そのものに価値があると言い換えることもできるかもしれない。
 ならばある意味、存在することの価値を推し量れない自分に対して、その価値を見出すことができないのは当然なのかもしれない。

 而して、である。
 干支を一回りしても当時の疑問に回答を出せない、すなわち小学生の時分から思考が全く成長していないと思われる私に、そもそも生存の価値だのヘチマだのなんか、きっとあるわけないのである。